前回アメリカン・ウイスキーについて書いたときに言ってた、禁酒法についてまとめました。
今からちょうど100年くらい前にホントにアメリカであった法律で世界一おバカな法律として知られている。
アル・カポネなどのギャングが暗躍していたと言うイメージがあるが、なかなか深い事情があったみたい。
禁酒法とは
1919年1月に憲法修正18条として飲用アルコールの醸造、販売、運搬、輸入、輸出が禁止され1929年に始まり、1930年代後半まで続いた世界恐慌の後、1933年まで約14年間存続した。
1920年代は第一次世界大戦中で好景気の中禁酒法が制定されるというなんとも皮肉な法律であまりにも内容がひどすぎたので人類で最もおバカな法律と呼ばれた。
なぜなら誰も守らない上に、誰も得しないと言う恐ろしいくらい間抜けな法律だったから
当時は禁酒法のおかげで、アルコールの消費量は3倍になった。誰も守っていない証拠(笑)
税収も10%減って減った分以上がマフィアに流れたそう。
禁酒法で税収が減る
政府は禁酒法のおかげで酒を売ることが禁止された。酒税は連邦予算の約10%程度あったのでそれが全てなくなり、市民は密造酒を飲んでいたそう。
アメリカ人も元々は宗教的に堕落したカトリック教徒から独立し自由の国アメリカを作るという思いがありしっかりとした遵法精神があったが禁酒法の制定から箍が外れたように法を遵守しないようになっていった。
当たり前のように、減少した売上はすべてイタリアマフィアに流れていき戦後の焼け太りのごとく勢力を拡大していく。
当時イタリア移民はアメリカ中で嫌われていて、移民してきても受け入れ先がなく仕方無しに、入港したニューヨークにとどまりコミニュティーを作り、仕事も無いので次第にマフィア化していった。その
筆頭はアル・カポネ。
そんなマフィアが密造酒だけでなく賭博、売春、麻薬、などあらゆる違法なものを扱うことで勢力を伸ばしていった。
彼も一大勢力を築き上げたが、晩年は逮捕され刑務所に入る。
ただ所長や職員を買収し当時住んでいたレキシントン・ホテルの頃と変わらない豪華な生活を送っていた。
次第に、状況も変わり、刑務所を移転したりしてそうも言ってられなくなり次第に力を失っていく。
そんな中若い頃に罹った梅毒が悪化していきとうとう、1947年1月25日土曜日の東部標準時午前7時25分アル・カポネは脳卒中に伴う肺炎により死亡した。
命の危険があった
政府は法律を遵守させたいと思っていたところ、ある一人の人が思いついた。
工業用のアルコールは必要で売らなければいけないが、飲酒用のアルコールは売っちゃだめ。ならばという事で、飲めないようにお酒にストリキニーネとか水銀などの毒を混ぜれば誰も飲まないだろうという事で毒物を混ぜるようになった。
このおかげでアメリカ国民は禁酒法の期間の間で1万3千人が毒死した。
比率でいうと、今のアメリカで1年間で銃で亡くなる人と同じ割合が毎年毎年なくなっていたそう。やっぱり馬鹿なのでそれでも飲んでしまうのでしょう。
なぜこんなおかしな法律が出来たのか
1800年代後半のアメリカではお酒を飲むことで堕落した人間になるという、イスラム教徒のような考えを持つ禁酒を訴える一部の勢力がいて「ドライ」と呼ばれていた、反対にお酒を飲む方は「ウエット」とよんだそう。
よくある宗教的な派閥闘争でカトリックを信じるお酒を飲む「ウエット」と呼ばれる人たちと、「ドライ」と呼ばれるプロテスタントのお酒を飲まないと言う考え方の一派があって対立していた。
当時は州によってはお酒が飲めない州というところもあったが1922年に施行された禁酒法ほどひどくはなかったみたい。
大きな影響を与えたのが第一次世界大戦
第一次世界大戦中にドイツは飛行機での爆撃にどれくらいの効果があるか試すため、パリの市街地に毎日昼の12時に一個だけ爆弾を落とす実験を行った。それまでは兵隊同士の戦いしかなかったが、コレは民間人を大量虐殺する初めての行為とも言われている。
当時のアメリカ大統領はドイツの非人道的な所業に対して激怒して手紙を送ったそうで、後に世界大戦に参戦する口実になったそう。
それ以外にもドイツは潜水艦から魚雷を使った攻撃の実験もはじめ、一般の客船を攻撃し乗員が全てなくなった。
その事がアメリカ人の心に火がついた
当時アメリカの酒の業界ではウイスキーなどは一部イギリス人が居たが、その他殆どはドイツの移民がやっていたので、酒造メーカー、酒屋、飲み屋など酒に関するモノすべてがドイツ人が仕切っていた
それに加えドイツ移民たちは、ドイツの当時のヴィルヘルム2世という皇帝をアメリカ議会や大統領は応援しろというロビー活動をやっていたのをマスコミに暴かれた。
パリの爆撃や客船への魚雷攻撃に加えロビー活動というドイツの行為に対しアメリカ人全体で「我々の敵はビールとドイツだー」というドイツ憎しと言う機運が広まっていった。
この事がきっかけでアメリカ中の酒業界を牛耳っているドイツ人を懲らしめるため、禁酒法を制定する州が多くなり結果4分の3の州で禁酒法が制定された。
アメリカの法律では4分の3以上の州が決めたものをアメリカ憲法に繰り上がるそうで、とうとうアメリカ合衆国では禁輸の時代に突入する。
このとき業界を仕切っているドイツ人達も権利を主張し禁酒法の制定を阻止できたようにも思えるが、ビール業界とスピリッツ業界ではお互いに足の引っ張り合いをしていて上手く行かなかった
ホルステッド法
ドイツ憎しで出来た方保法律と一緒にこそっと制定された保法律なんだけど、何が酒になるのかということを規定している法律
当時もアメリカ人はやっぱり馬鹿なので、禁酒法って言ってもスピリッツだけだったりでワインやビールなんかは大丈夫だろうと、なんにも考えないで禁酒法に賛成していた。
結果、どんな酒がダメになるのかと言うと、0.5%以上のアルコール全てダメと言う法律だったのでアメリカ中でお酒を飲むと犯罪になる事になってしまった。
コレが有名なアメリカの禁酒法
約14年間飲用のアルコールを売ることも醸造することも禁止されていたので、沢山の醸造所が閉鎖に追い込まれ、庶民は密造酒を作ったり買ったりしてたので消費量は禁酒法前の3倍に増えたのだそう。
コレも分かっているだけでこれだけの増加なのでホントはもっと多いのではと思います。
密造するときは大っぴらに出来ないので夜明かりも付けないでコソッとしないといけないため月夜の晩に作っていたので、英語で密造酒のことをMoonshine (ムーンシャイン)月明かりと呼ばれています。
その当時のことを皮肉ってなのか、パロディなのかジョージアムーンと言うコーンウイスキーがあります。
当時も、普通の酒瓶に入れると密造酒とバレるので、マヨネーズの入れ物などに入れて販売していたようで、このジョージアムーンもその頃に習ってマヨネーズ瓶のような入れ物で販売されています。
最後に
廃業した醸造所もあったが、中には密造酒を作ったり他のものを作って耐え忍んだところもあったようで、なんとかバーボンを始めとするアメリカンウイスキーの伝統を受け継がれていたので今でも美味しいバーボンが飲めることに感謝します。
私がこの記事を書きました